No.9「脳はなぜ心を作ったのか」
脳はなぜ心を作ったのかを読みました。
慶應義塾大学大学院システムデザイン学科教授の前野隆司さんが書いた本です。
この本は大きく分けて四つのパートに分かれています。
まずは人の機能について、それから人を三つの要素に分けて説明し、心とは何かについて迫ります。最後にはロボットは人の心を持つことができるかについて論じ、将来の心の捉え方について論じます。
「心」とは何か、この点についての理論的な説明がこの本のハイライトでしょう。
この本の中では人の心とは極めて受動的な存在であるとされています。正確には心とはクオリアであり、自分の言動を連続的に自覚するものです。だから昨日の自分が今日の自分と同じであることを理解することができ、これが他の動物とは少し違った人間ならではの反応と言えます。
心が受動的な存在であるとは、人の細胞の反応を感じるものであるということです。例えばコップの水を飲むとしましょう。私たちは水を飲もうと思い、体を動かしています。しかし実験の結果によれば私たちが水を飲もうと思うよりも前に体の反応は始まっているのです。つまり、体の動き→心の動きの順番であり、心の動き→体の動きの順番ではないわけです。私たち人間は体の細胞の中の動きを自分が出した命令、つまり心の動き通りに動いていると錯覚しているにすぎなかったのです。
能動的に動いてきたはずの自分が受動的な存在であったと知らされると嫌になりますね。心についてもっと知りたいという方は是非。
No.8「諦める力」
諦める力 為末大 著を読みました。
この本の内容はおおきく二つに分かれています。一つは才能の違いを主張し、それを否定する社会構造について具体的な事例を交えながら語っていくパート、もう一つは才能の違いを認め、いかにして自分の幸せを追求していくかについて語っているパートの二つです。
まず一つ目の話の展開について。基本的には為末さんが陸上選手として歩んできた経験を元に語られます。そこでの才能の違いを認めた経験とは、高校生の時に100メートルの選手であった為末さんが400メートルハードルの選手になったことです。中学生の頃は無敵だった為末さんの100メートルのタイムは、他のライバルたちにどんどんと詰められていることに気がつきました。体格も中学時代からほとんど変わっておらず、成長速度も鈍化していることから将来の成長に期待が持てないことがわかりました。この状況から、「自分の一番になれる場所」という観点で勝負の場を変えて400メートルのハードルに挑戦したわけです。
しかし、ここでは100メートルを諦めます。(路線変更する)この行為が日本では悪だとされているのです。なぜなら努力すれば最後は報われるという風潮があるからです。だから諦めは逃げであり、目標を達成できないのは自分の努力が足りないからだと主張されます。ですが為末さんは世界の超一流のプレイヤーたちと競う中で100メートルでは世界一にはなれないことを悟ったのです。そこには努力では埋めることができない才能の差がありました。
二つ目の話に移ります。才能の差を認めた為末さんは自分が陸上をしている目的は何かを考えました。それは「勝負をすること」でした。だから自分の勝てる分野を探し、400メートルのハードルに取り組み、世界で3位になるなど勝ちも経験しました。ここで重要なのは為末さんが自分の幸福の価値観を見つけたことではないでしょうか。もしここで周囲の期待に応えなきゃと思っていたり、努力が足りないから続けていれば勝てるという思いを持っていたら、練習はきつい上に自分の勝ちたいという欲求を満たせずつらい思いをするだけです。
自分にとっての幸せって何だろう、と疑問に思っていたらおすすめの一冊です。
No.7「堕落論」
堕落論を読みました。
坂口安吾が書いたものです。日本の伝統的な常識から人間の本性について語っています。この常識は本性を抑圧するためにあり、戦後でアメリカが日本の自治に関わり、時代の転換期にある日本では、新たにこの本性を見つめ直すことがある、と安吾は訴えていると感じました。
天皇制を例に考えてみましょう。
天皇制を作った藤原氏は「みんなに従う」という日本人の特性を利用しました。天皇という存在をまつりあげ、天皇の命令に一番に従うことで、その絶対性を構築しました。この天皇の命令は藤原氏が伝えたものであり、自分の命令を自分が下すことより、自分の命令を他者に下させ、そこに権力者である自分が一番最初に従っていくことが大衆に最も影響力があることを知っていたのでした。
このように天皇制を確立できたのは、それまでの権力闘争の歴史に対する深い洞察があったからでしょう。権力闘争の歴史とはまさしく、人の欲望の戦いです。そこで逃げずに戦ったからこそ、人の本姓について知り、それを抑えるルールを構築することができたのです。
人性とは何か。考えさせられる本でした。
床屋で失敗したことってありませんか??
久しぶりに髪を切りに行きました。
駅から15分ほど歩いたところにありまして、散髪料もカットで大人3000円。
お世辞にも安いとは言えないですが、いつも予約いっぱい。
そんな店の店主の方は床屋の仕事を「イメージを売る仕事」だとおっしゃっていました。
その心とは
「髪を切るのではなく、お客様がこのようにしたいと思っているイメージに仕上げていく」ことだそう。
お客様のイメージに近づけるために、新規のお客様には1時間かけて散髪をするそうです。まずは短めにするか長めにするか、爽やかな感じがいいのかと大まかなイメージを聞いて、そこから「ここはバリカンにしておきますね」など具体的な話に入っていく。内気な子もいらっしゃるそうですが、その時は自分もそのような雰囲気を出して話しやすくするそう。笑
カットの技術も大事ですけど、お客様との仕上がりのイメージの間にギャップがないようにしないといけませんよね。そのために、コミュニケーションを心がけているという話でした。
No.6「マーケット感覚を身につけよう」
こんにちは。今回も書評です。
某外資系企業に勤め、現在はフリーライターをしているちきりんさんのマーケット感覚を身につけようを読みました。この本を読もうと思ったきっかけはこの記事です。
まさしくマーケット感覚の視点からショップ店員の売り方について解説しているのですが、この視点が自分としては目から鱗だったのでこの本を買うことにしました。
ではマーケット感覚とは何か。
物が誰にとってどのような価値があるのかを判断する感覚とでもいいましょうか。
物が取引される市場では「消費者がある物に付けた価値」で値段が決まります。つまりマーケット感覚を理解するには消費者が何をどのくらい欲しいのかを考える必要があります。様々な人がどのような動機で物を買っているのかについて知ることは非常に難しいのではないかと思います。ではマーケット感覚を身につけるにはどうすればいいのか?
それは自分で物に値段をつけてみることです。
そのものを調達するコストではなく、純粋にいくら払えるかを素直に考えてみることがコツだそうです。またそれがどこなら高く取引されそうか、どこだと安くなりそうか、を考えてみるとさらに効くそうですよ!
かなり抽象的な話になってしまいましたが、面白いので続きは読んでみてください〜〜
No.5「自分の小さな箱から脱出する方法」
自分の小さな箱から脱出する方法
最近、誰もが無能に感じていたりしませんか?
そんなあなたにはこの一冊が堪えるかもしれない。
自己欺瞞について書かれた本です
人は他人の求めることを知っているという仮定を前提とする
求めることに応えないことで自分への裏切りが生じるが、人間は裏切った自分の正当化のために他者を低く評価する。
これがつまり箱の中に入った状態である。そしてこの状態が恒常化すると、その人は常にあるパターンの自己正当化を行い続ける。
わかりにくいので一例を取り上げよう。私に生まれたばかりの子供がいたとする。夜中にその子供が泣き出した。私はあやそうと思ったが、やめた。なぜか。その理由はもしかしたら、明日の朝、早くから仕事があるからかもしれないし、単にめんどくさかったからかもしれない。いつも朝の7時に家を出て、夜の10時に帰ってくる生活はきびしいだろう。このように感じていたとしたら、自分に原因があったかもしれないにもかかわらず、自己保身のために、他人に責任をなすりつけてしまったことも多いにあり得るのではないか?
隣の妻が自分の役目である家事をサボっているだけだ。みたいに。
ここに自分への裏切りがある。いつも頑張っている私を守るためには妻に悪者になってもらう必要があったのだ。
こうして自分はいつも頑張っている夫だという箱が出来上がる。
もし、妻のやることなすことが否定的に見えてしまってきていたら、それは箱が固定されてきている兆候だ。
あなたに心当たりがあるなら是非この本をお勧めしたい。
No.4「京都嫌い」
受動的な理由ではあるものの、京都嫌いという本を読んだ。朝日新聞出版社の昨年、最も売れた本であるそうな。
洛外を京都とは認めない、洛中者の鼻を明かしてやりたい、そんな思いがこもっている。
筆者は嵯峨の人間である。太秦や南朝といった自らの故郷の名所に誇りを持っているが、洛中からすれば、筆者の出身地域は「洛外であるから京都ではない」そう。
同じ京都市でありながら、京都を名乗れない悔しさ。この憂さ晴らしにあらゆる角度から京都文化の「あら探し」を試みる。坊主、銀座、映画、寺、天皇制。どの切り口も今までの読み物のジャンルと異なっていたためとても面白かった。ちょっとしたうんちくを語りたい人、京都の歴史を洛外から見てみたい人、歴史が好きな人には是非お勧め。
今度京都行ったら七条(ひちじょう)通りに行きたいなあ。